箕輪町議会 2014-03-10 03月10日-02号
その建設にあたり、801坪の用地代金400万円余を提供してくれたのが杏林製薬社長であり、後の会長であった荻原廣翁であります。その行為への感謝と新しいまちづくりに燃えた当時の連合青年会を始め、地元松島区、松島婦人会や町の婦人会、また各種団体は周辺の環境整備に幾日も勤労奉仕をしたと伝えられております。
その建設にあたり、801坪の用地代金400万円余を提供してくれたのが杏林製薬社長であり、後の会長であった荻原廣翁であります。その行為への感謝と新しいまちづくりに燃えた当時の連合青年会を始め、地元松島区、松島婦人会や町の婦人会、また各種団体は周辺の環境整備に幾日も勤労奉仕をしたと伝えられております。
箕輪町は大実業家であり、大教育者でもあった木下出身で、杏林製薬の会長の荻原廣翁と沢出身で巣鴨運輸倉庫株式会社社長であった米山素治翁2人を教育社会福祉、自治振興など、あらゆる援助を惜しまず巨額の浄財を寄附くださり、こんにちの箕輪町を築いていただいた方であるとして箕輪町名誉町民の称号を授与いたしました。
また顕彰という1つの考え方の中では、名誉町民で第1号でございます荻原廣翁の徳の大きさというようなものの中で、目立たなかったのかなあということも考えられるわけですけれども、いますぐ顕彰ということに結びつけていくということは、非常に故人として時間が経っておりますし、難しいということが思料されるわけであります。
箕輪町の名誉町民は、昭和35年に名誉町民条例がされて以来、同年木下出身の故荻原廣翁が第1号で、もし今回顕彰されますと39年、40年ぶりの2人目に当たり、大変な慶事、慶び事であります。名誉町民第1号の荻原廣翁につきましては、現松島コミュニティセンター前庭の記念碑には次のように刻まれております。